表現を磨く

息をするままに表現できるようになりたい。
そのために身体を変え続けたい。

脱力、動作、感情を
解剖学、動植物、彫刻、絵画などから追求しています

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2018/07

以前、ロダンについての印象を書いた「もっと苦しみを」に続けて書くつもりだった記事です。写真で観た範囲ですが、私がミケランジェロ作品をから感じるのは「人体そのものが美しい」といったミケランジェロの強いこだわりのようなものです。実際よりも美しく表現された雲の …
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前回の続きです。全体に私の感覚による内容で、どうもうまく文章にできないですし、こういったのは苦手かな...という方もいらっしゃるかと思いますが(特に後半)...。トルソ像鑑賞の内容というよりもそこから派生で考えたことです。***拝借したトルソ像を両手で持って、 …
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ミケランジェロの人体表現を解剖学的に観るという講座の最後で、先生が小さなブロンズ像を回覧してくださいました。両手に収まるサイズのトルソ像です。捻られた体幹はとてもかっこよく、初めて手に乗せたブロンズ像はずっしりと重く、この大きさでこんなに重いのか、と驚き …
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ミケランジェロの人体表現を解剖学的に考察する講座に参加しました。彼の作品を考察するには解剖学は切り離せないという視点での講座です。直結する内容だけでなく、歴史や時代の特徴といった”そもそも”や流れも、レオナルドとの比較、そしてこれから時間をかけて土台にじ …
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ミケランジェロ(写真で見た範囲ですが)や荻原碌山の作品からは感じないけれど、ロダンの作品の多くに共通して感じることが、「もっと苦しみを」です。ロダンの作品には強調された動作・収縮・弛緩・パーツの長or短...などが多くありますが、それらが何のためにあるか、ど …
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